そばはうどんから生まれた?

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めん

 

★もともとはドロドロの粥状だった「そば」

 

そばの原料は、いわずと知れた「そば粉」。一方のうどんの原料は小麦粉。どちらも粉から作られる食べ物ですが、その歴史は古く、縄文時代や大和朝廷時代あたりから既に食べられていたようです。そばの誕生は、実はうどんよりも後だそうで、江戸時代に入ってからだそうです。それまでは主に「そばがき」のように、そば粉を練って食べていたようです。なので麺としてではなく、元はお粥のようにドロドロの状態だったとかで、後にうどんの技法を真似て麺状の「そば」にしたようです。ところで「そば切り」ということばがあります。実はこれ、特別なそばのことではなく、それまでは「そばがき」のように練っていたそばを、包丁で細い麺状に“切るようになった”ことから「そば切り」ということばが生まれたそうです。

 

★修行に最適な完全食「そば」

山などに籠って厳しい修行をする修験者たち。彼らは基本的に修行中は断食をするらしいのですが、古く江戸時代から「そばの粉」だけは持って行ったという話があります。そばの実の粉末は、そのまま水に溶かしてこねれば加熱しなくても食べられるのだそうです。米や小麦粉など、ほかの穀物の場合は加熱せずに食べることはできません。生で食べればお腹を壊してしまいます。修験者がそばの粉を持って行った理由は、単にそのまま食べられるから、という理由だけでなく、もう1つあります。それはそばに栄養があることを知っていたからともいわれています。そばにはさまざまな栄養素がバランスよく含まれ完全食」ともいわれます。修験者たちは、長い期間山に籠っているときにも、そばの粉を水に溶かして食べていれば、体調がおかしくならないですむ」ことを体験的に知っていたのでしょうね。

 

★「二八そば」という名前の由来

そば通の間だけでなく今や巷でもよく耳にする「二八そば」というものがありますが、この名前の由来にはいくつかの説があります。一般的なのは、粉の配合率を表すという説です。そば粉100%でそばを打とうとすると、粉が乾燥したときに粘りがまったくなくなり、打ちにくい。それで江戸時代につなぎの「割り粉」に小麦粉を使う方法が考えられ、定着したそうです。小麦粉に水を加えてこねると、中に含まれるたんぱく質が、グルテンと呼ばれる粘りを持つ組織に変化します。この粘りをそば粉に加えることでコシを出すのですが、小麦粉2に対してそば粉を8の割合にすると打ちやすく、でき上がりの食感も抜群になり、おいしいそばになります。そのおいしさを示す代名詞として「二八そば」と呼ばれるようになったという説です。同じ意味では、「外二」といういい方もあります。これはそば粉10に対して小麦粉2を混ぜるという考え方で、そば粉の量が多いだけ上質のそばだとされています。
一方で「二八そば」はそばの価格を表していたとするおもしろい説もあるようです。江戸時代初期の値段はだいたい1杯あたり「十六文」で、そこで「二八=十六」から語呂合わせをして「二八そば」と呼んだためにこの名前が残っているという…。
どの説が有力なのか、様々な議論はされつつも、今もはっきりとしたことは分からないようですね。

 

★年越しそばのいわれは?

江戸時代から「縁起もの」として、生活のさまざまなシーンで食べられてきたそばですが、年末に欠かせない年越しそばを食べる習慣も、江戸時代からの風習だそうです。そのいわれにも、さまざまな説があります。

1 金を扱う職人が、周りに飛び散った金粉を集める際に水でこねたそば粉を使ったため、転じて「金が集まる=縁起が良い」と、大晦日に食べるようになったという説。

2 そばは切れやすいから悪いことを大晦日に断ち切ろう、というところから食べるようになったという説。

3 逆に、細く長い形から、末まで細く長く、という意味を込めて食べたのだという説。

これもはっきりとした由来は分からないままのようですが、すべてを当てはめて1つとして考えるのも良いかもですね♪

 

 

 

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